ダンディな魅力の溢れるモデルの三浦理志さん。
どうやら若い頃もかなりのイケメンだという話があるようです。
もちろん今もイケメンですが、若い頃はどんなだったのだろう?
ということで、今回は三浦理志さんの「プロフィール」「経歴」「若いころ」
について調査してきました。
ぜひご覧ください!
【何者】三浦理志のwikiプロフィール!

- 名前:三浦理志(みうら まさし)
- 生年月日:1970年7月1日
- 出身:神奈川県藤沢市
- 身長:184cm
- 職業:モデル
- 趣味:サーフィン・料理・旅
三浦理志さんは1970年7月1日に神奈川県藤沢市で生まれました。
海が近いこともあってか、無類のサーフィン好きだそうですね。
サーフィンを始めるずっと前、
子供の頃から毎年夏には海水浴に行っており、そのときサーファーの人達を見て、
子供の心にも「恰好いいな」と思っていたとのこと。
サーフィンをしたかったそうですが、始めるきっかけがなかったんだとか。
その後、高校に入ると友達がサーフィンしていたのがきっかけとなり、
そこからサーフィンを始めることになります。
現在はサーフィン歴38年とかなり長く続いていますが、
元々、三浦理志さんはあまり長続きしない性格だそうです。
僕は本当に飽きっぽい性格で、子どものころからサッカーや野球もやってきましたが、何一つ続いたことがない…。もちろん勉強も嫌いで全然やらなかったですけど(笑)
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趣味としては理想的ですね~!
こんな生涯楽しめるものを見つけるのって意外と大変ですよね(笑)
しかし不安もあるようで、
「年をとってサーフィンができなくなったら、どうしようかと今から不安です(笑)。代わりになるような趣味を仲間と探しているのが、なかなか見つからない。やはり、サーフィンは楽しいですね」
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サーフィンに代わるものが見つからないというものだそうです。
本当にサーフィンに一途ですね(笑)
【何者】三浦理志の経歴!

- 18歳:モデルとして活動を始める
- 26歳:叔父の経営するレストランを手伝うためニュージーランドへ
- 28歳:帰国して日本食の店で修業
- 30歳:腰を痛め、料理の道をやめ再びモデルへ
- 40歳前後:菜園を始める
18歳:モデルとして活動を始める
友だちの知り合いがモデルをしていて事務所を作るということになり、
三浦理志さんの写真を見てスカウトします。
26歳:叔父の経営するレストランを手伝うためニュージーランドへ
25歳頃から周りの人は俳優になったり、結婚して家庭をもったりと変化しているのを見て、
自分も変わらなければと思っていました。
モデルは俳優になることが多いそうですが、
三浦理志さんはあまり演技に対しての興味はなかったようです。
そこに叔父がニュージーランドで日本食レストランをやっていてシェフを探していたことを知ります。
三浦理志さんはモデルを辞め、ニュージーランドへ手伝いに行きました。
28歳:帰国して日本食の店で修業
帰国して、本格的に料理の仕事をしようと思い日本食のお店で修業をします。
しかし、背の高い三浦理志さんは腰を痛めてしまい、
料理人を続けることができなくなってしまいました。

30歳:腰を痛め、料理の道をやめ再びモデルへ
そんな中、たまたま友人の結婚式で、以前所属していたモデル事務所の社長さんに会います。
その社長さんに、「またモデルに戻ったら」と勧められて
悩みながらも、再びモデルとして活動することになります。
40歳前後:菜園を始める
忙しく仕事をこなしながら趣味のサーフィンと料理を楽しんでいたある日、
サーフィン仲間の先輩に声をかけられます。
話の内容は、畑をやっていた先輩のお父さんが亡くなってしまい、
畑をそのままにしておくわけにはいかなかったため、先輩がその土地を引き継いだから
ということで、一緒にやらないかと菜園のお誘いでした。
30代の頃から自給自足の生活をしてみたいと思っていた三浦理志さんは、
その誘いに乗り、野菜を育て始めます。

畑は神奈川県座間市にあり、自宅から車で30分ほど。
収穫した野菜で食べるため、ピザ窯まで作ったそうです。
その後も食に対する熱が高まり、料理の本を出版することになりました。
自身による造語、「SURF& NORF」な暮らしをしていますが、
サーフィンと農業どちらが楽しいかという質問に対し、
「サーフィンのほうが全然楽しい! 比べものにならない」と即答したそうです(笑)
【何者】三浦理志の若い頃はモデルのイケメンだった!

三浦理志さんは若い頃にもモデルの仕事をしていましたが、
上の写真がその若い頃のものです。
今と雰囲気が違いますね!
「新進気鋭の若手モデル」というような風貌。
しかし、当時はモデルになろうとも、なれるとも思っていなかったそうです。
三浦理志さんの話によると、
当時高校を卒業した後、定職に就かずアルバイトとサーフィンをする日々だったそうですが、
友達の知り合いがモデルをしていて、事務所を作るとなったときに、
三浦理志さんの写真を見て「会いたい」となったそうです。
早速、雑誌『Fine』の編集部に連れて行ってもらったら、すぐに仕事が決まり
モデルとして活動を始めました。
しかし、趣味であるサーフィンとは相性は良くなかったようです(笑)
最初はすごく怒られましたね。ウェットの跡がついてしまったり…。女性モデルと一緒の撮影の時など、僕が黒すぎるので、ライティングを追加しなければなりませんし。
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モデルとして活動を始めても、サーフィンしながらできるということで、
アルバイト感覚でしていたそうです。
その後一度料理の道を志したものの腰を壊してしまい、
たまたま以前所属していたモデル事務所の社長さんに会い、
「またモデルに戻ったら」と勧められ、
30歳頃に再びモデルとして活動をすることになります。
今ではダンディさが増して大人なカッコよさが魅力的ですよね。
【何者】三浦理志のwiki経歴!若い頃はモデルのイケメンだった!まとめ
いかがでしたか。
外見だけではなく、自分の人生を歩いている生き方までかっこいい三浦理志さんでした。
そして、サーフィン愛に溢れていることも伝わってきましたね。
これからもどんな生き方を見せてくれるのか楽しみです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!


