コムアイさんのパートナーとして知られている太田光海さん。
髭が特徴でワイルドでかっこいい男性です。
そんな太田光海さんですが一体どんな人なのでしょうか?
今回は太田光海さんの「何者なのか」「wiki経歴」「学歴(高校・大学)」について調査をしてみました。
【何者】太田光海のwiki経歴!

wikiプロフィール
プロフィールを確認してみましょう。
- 名前:太田光海(おおた あきみ)
- 生年月日:1989年10月2日
- 年齢:33歳(2023年5月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 職業:映像作家、文化人類科学者
このようになっています。
33歳で映像作家をしています。
太田光海さんは20代の頃に渡仏し文化人類学を学びながら、古今東西の映画を見ていました。
※文化人類学とは
文化人類学は、世界のさまざまな民族や地域の文化・社会などのしくみを研究し、例えば、「日本とは何か」、「日本人とは何か」といった問いを探究していく学問です。
引用元:スタディサプリ
そして映画や映像関係に興味を持ち、文化人類学とドキュメンタリー映像制作の手法をかけ合わせた学問「映像人類学」を学ぶべく渡英し、マンチェスター大学で博士号を取得しています。
※映像人類学とは
人類学的社会調査に基づき、文化現象を映像で記録し表現するヴィジュアル・エスノグラフィー制作の研究実践、いわゆる「ドキュメンタリー」や「記録映像」を制作していきますが、制作された映像とその作業過程を通して、個人と社会、社会と社会、民族と民族、地域と世界、現在と未来を繋げていくことを目指しています。
引用元:EIZOVOICE
勉強のために様々な国に留学していますね。
それだけ、情熱をもって行動できるのはもしかすると映像作家という職業は天職なのかもしれませんね!
太田光海の経歴!

太田光海さんはエクアドルのシュアール族という民族の村に一人で取材をし、生活を共にしながら彼らの生活を映像化しています。
作品名は「カナルタ 螺旋状の夢」という名前です。
この作品は様々な賞を獲得しており、イタリアのフィレンツェ映画祭・アメリカのニューヨーク映画祭で「最優秀長編ドキュメンタリー賞」を受賞しています。
また、令和4年度文化庁映画賞では「文化記録映画優秀賞」を受賞しています。
とてつもないインパクトを与えた作品ですね!
たった一人で知らない地域に行くのはとても勇気がある行動だと思います。
とても行動力があり、自分の目的のために走れる人なんですね!
この映像を作った理由として、地球の真裏に住むアマゾンの先住民たちと日本の方々を全く新しい形でつなぎたいという理由から作成したそうです。
日本のみならず、世界のことも考えて作られた作品なんですね!
【何者】太田光海のwiki経歴!学歴(高校・大学)
それでは学歴を確認しましょう。
高校は東京都立青山高校

太田光海さんは東京都立青山高校に通っていました。
この学校は東京都の「進学指導重点校」に指定されていて、偏差値も高くトップレベルの難関校として知られています。
ちなみにこの学校は偏差値が71もあり、そこに入学している太田光海さんは高校時代から賢い男性だったんですね。
大学は神戸大学国際文化学部

太田光海さんは大学は神戸大学国際文化学部に進んでいます。
こちらの大学は関西トップレベルの大学であり、偏差値は62ととても高いレベルの学校です。
神戸大学も「日本の難関国立10大学」の1つとされており、常に高いレベルの学力を持っていたんですね!
そしてこの大学を卒業後に海外へ留学することとなります。
海外の留学先 ①パリの社会科学高等研究院(EHESS)

太田光海さんの最初の留学先はパリの社会科学高等研究院(EHESS)です。
こちらに在学中には共同通信パリ支局で、カメラマン兼記者として活動していました。
この学校では文化人類学を学びながら、古今東西の映画を見て映像関係に興味を持ち始めました。
そして人類学の修士号を取得し卒業しています。
ここで学んだことが太田光海さんの映像の原点なのかもしれませんね。
海外の留学先 ②マンチェスター大学グラナダ映像人類学センター

太田光海さんの次の留学先はマンチェスター大学グラナダ映像人類学センターです。
こちらの大学在学時には、自らアマゾンの熱帯雨林に向かい現地で1年間生活しています。
そうして出来上がった作品は最初に申した「カナルタ 螺旋状の夢」という作品で、様々な賞を獲得しました。
更にはこの大学で博士号を取得し、現在では東京を拠点に活動しています。
海外の留学先でも優秀な成績を残しており、日本を代表する映像作家ですね!
【何者】太田光海のwiki経歴!学歴(高校・大学)も気になる!まとめ
以上となります。
太田光海さんの経歴を紹介しました。
とてもグローバルな活動をしており、世界のことを考えられる優秀な人でした。
これからも日本を代表する映像作家として、様々な作品出会いたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。



